小さな喜びに心が潤う誕生日

喜び

今年の誕生日は、普段の生活では味わえない小さな喜びを感じる出来事がありました。
友人や職場の人たちの心遣いが、自分の心にじんわりと潤いを与えてくれたのです。

久しぶりのランチでお祝い

友人がランチをご馳走してくれました💦
断ったのですが、その気持ちが嬉しくて受け入れてしまいました。

ランチはおしゃれなイタリアンではなく、ドーナツ屋さんで軽く済ませましたが、かわいいドリンクやスイーツが並ぶだけでちょっとした特別感がありました。
何より、久しぶりにその友人に会って話ができたことが嬉しかったです。

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自分のために祝ってもらう喜び

子どもが家にいたころは、自分より子どもにケーキやご馳走を用意することが多く、自分の誕生日は特に祝う必要を感じていませんでした
でも今回は、友人や職場の人が忙しい中で時間を作り、「お祝いしてあげよう」と思ってくれたことに心から嬉しさを感じました。

H2:職場での小さなサプライズ

職場でも、ささやかな心遣いが私に幸せを届けてくれました。
日常の中で人に祝ってもらうことで、自分が大切にされていることを実感できたのです。

退勤前のちょっとした心遣い

娘の年齢に近い職場の方に「誕生日です」と話すと、退勤前に
「ハッピーバースデー!休憩に飲んでくださいね」
と飲み物をくれました。

以前、私がその人の誕生日にお菓子を渡したときは、
「こんなもの喜ばないかも…」「失礼かも?」と躊躇していました。
今回はその小さな心遣いを素直に受け取り、心から喜ぶことができました

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日常の小さな幸せを大切に

こうした小さな喜びに触れることで、自分の心が潤っていくのを実感。
「無理して人の目を気にする自分」だったころとは違い、50代になった今は、少しずつ自分のペースで日々を楽しめるようになっています。

人を気にしてしまう自分のルーツ

私はなぜ、人の目を気にしてしまうのか――その理由を振り返ると、子どものころの経験が大きく関わっていることに気づきます。

子どものころの経験

私はもともと器が小さいのに、無理して学級委員をやったり、人前で率先して模範になる行動をすることが好きでした。
でも、親の離婚後、「離婚した子がこんなことをしていいのだろうか?」と思うようになり、自分を縛るようになりました。

父に引き取られたことの影響

さらに、普通は母親が子どもを引き取ることが多い中、私は父が引き取ったことも心の引っかかりになりました。
周囲にも離婚したことを言えず、**「お母さんがいないのは可哀想」**と言われた経験から、
自分の価値が下がったように感じたこともあります。

だから、私がこんなことをしていいのかと思うようになったのかもしれません。

今の私につながる影響

いまでも無意識に人の目を気にしてしまう自分はいます。
でも50歳を過ぎて、心も身体もボロボロになったあと、「無理しなくてもいい」「自分のペースでいい」 とやっと気づくことができました。
過去の自分を受け入れ、たまに気にすることがあっても、「私がやりたいからやるんだ」 と自分に言い聞かせることができるようになったのです。

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